東日本大震災で被災した仙台市宮城野区蒲生地区の養殖業者が、宮城県蔵王町遠刈田温泉での事業継続を決断した。津波で養魚場が壊され商品はすべて流失し、取引先だった三陸や福島の漁業者も被災した。生産も販売も細る中、拠点を海から山へ移して再起を誓う。
蔵王連峰の裾野にある養殖施設でギンザケとコイの稚魚を育てるのは、蒲生干潟のそばで「山口養魚場」を構えていた代表の山口義雄さん(72)と弟の義信さん(66)。
山口養魚場は、山形県上山市でコイ養殖を営んでいた父義美さん(故人)が、戦後間もなくウナギの養殖施設を引き取って経営を開始した。
若干の塩分を含んだ養殖池は栄養分が高く、コイ養殖に適した。1969年には遠刈田にギンザケをメーンとした施設も設置。義雄さんは「蒲生は温暖で、遠刈田でふ化させた稚魚を春先から育てるのにもってこいだった」と語る。
養殖池から栄養に富んだ水が干潟に流れ、多用な動植物が集う生態系の形成にも貢献した。
震災時は蒲生地区の養殖池でコイ15万匹、ギンザケ120万匹の稚魚が育っていた。義雄さんとその家族は津波から逃れたが、自宅と稚魚を失った。
ギンザケの稚魚を納入していた南三陸町や女川町の養殖業者らも被災した。それでも父から継いだ養殖業を守り抜こうと2011年4月末、ふ化施設のある遠刈田へ養魚場を移した。
早速稚魚を買い入れて事業を再開したが、初年度の売り上げは震災前の半分以下だった。コイの9割は福島県の養殖業者が取引先で、福島第1原発事故の風評も再建に影を落とす。
かつては養魚場がたくさんあった蒲生も、震災後も看板を掲げるのは山口養魚場だけになった。2人はこの地の養魚場も将来は復活させる考えだが、前提となる防潮堤建設など地域の復旧は進んでいない。「われわれの稚魚を待っている得意先のためにも、何とか遠刈田を足掛かりに、この仕事を再生させたい」と義雄さんは話す。
2013年07月18日河北新報朝刊
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