「大学でいろいろなことが勉強できるので、面白い」と語る阿部さん=山形市内
東日本大震災の発生から9日後の2011年3月20日、宮城県石巻市内の倒壊した家屋から救出された阿部任(じん)さん(19)が震災から3年を前に河北新報社のインタビューに応じ、高校1年生だった震災当時の様子や、東北芸術工科大(山形市)で彫刻を学ぶ近況を語った。山形市で1人暮らしをする阿部さんは「やりたいことをやっているので、楽しい」と話し、充実したキャンパス生活を送っている。
震災当時、東北生活文化大高(仙台市泉区)の1年生だった阿部さんは石巻市門脇町の実家に帰省し、祖母寿美さん(83)と2人で家にいた。
激しい揺れの後、窓の外が津波で真っ黒になった。一気に水が入ってきて、2階に逃げた。
台所があった2階部分は約100メートル流され、倒れた壁や柱に閉じ込められた。冷蔵庫に食料や水はあったが、寒くて眠れなかった。布団は寿美さんに掛け、自分はタオルを羽織った。天井はなくなり、床にうっすらと積もった雪が夜になると凍った。睡眠は毎日、昼に1時間ほどうつらうつらしただけだった。
「閉じ込められている間は、あまり考えないようにしていた」。日中は漫画を読んだり落書きをしたりして時間をつぶした。「夜は周りが暗いので、星がきれいに見えた。夜が早く明けないかなと、ずっと空を見ていた」
5日目ごろから、凍傷で両足の痛みがひどくなった。10日目に壁をはがして何とか外へ脱出し、助けを呼んだ。
救助を待つ間、警察官に「将来、何をやりたいの」と聞かれた。「美術を学んでいるので、美術関係の仕事をしたいと思います」と答えた。
高校では陶芸などに励んだ。オブジェ作りに興味があったことから、昨春、東北芸術工科大美術科彫刻コースに進学。この1年は木や石、鉄、粘土などを使って彫刻の基礎を勉強してきた。
足の凍傷もようやく癒えた。バルーン(気球)のサークルに入り、友人とカラオケを楽しむこともある。
将来については「いろいろとやりたいことがあるので、まだ決めたくない。ただ、美術関係のことは続けたい」。芸術に対する思いは、救助された時と変わっていない。
2014年02月07日河北新報朝刊
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