2015.12.26

津波で校舎消えても ユニの「荒浜」消さない

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走り込みで来シーズンに備える荒浜ビックウェーブの子どもたち=仙台市若林区の東六郷小

 東日本大震災の津波で校舎が全壊し、来年3月に閉校する荒浜小(仙台市若林区)に拠点を置いていた軟式野球スポーツ少年団「荒浜ビックウェーブ」が、いまも選手の勧誘を続けている。学校はなくなっても「ユニホームに『荒浜』の文字だけは残したい」。それがチームの指導者や保護者、荒浜の人々の願いだ。
 「新入部員大募集!」
 会社員高山進一さん(48)ら親の会は震災後、若林区荒井周辺のスーパーマーケットや市民センターを巡っては、チラシの掲示をお願いしてきた。「毎年が存続の危機。初心者も女の子も大歓迎」と高山さんは語る。
 震災後、チームは練習場所を求めて市内を転々としてきた。子どもたちは散り散りになり、東宮城野小(宮城野区)の校舎で学ぶ全校児童は16人にまで減った。
 荒浜、東六郷(若林区)の両小学校に通っていた児童でつくるビックウェーブの所属選手は現在10人。震災後は東六郷小に拠点を移したが、同小も17年3月には閉校する。今後は若林区を中心に市内全域に対象を広げて選手を募るという。
 震災前のビックウェーブは、宮城県内にその名を知られた強豪だった。
 2006年には、河北新報旗争奪県スポーツ少年団軟式野球交流大会など主要な大会を総なめ。投打に活躍した渡辺郁也選手はその後、仙台育英高に進み、主戦として12年夏の甲子園大会に出場し、現在は青山学院大野球部で活躍している。
 津波で壊滅的な被害を受けた荒浜の住民にとってチームは、いまでも地域の誇りだ。来年3月に解散する荒浜東町内会長の大久保勝彦さん(75)は「ばらばらになる元住民たちは、それぞれの場所で荒浜ビックウェーブを見守り続ける」と話す。
 主将の若生哉依(かい)君(11)=東六郷小5年=も「試合に勝って荒浜や東六郷に住んでいた人を喜ばせたい」とチームの活躍を誓う。
2015年12月25日河北新報

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